こんにちは。
日本アドラー心理学振興会代表の田山です。
昨日はアドラー心理学基礎講座「アドキソ」の第4回目でした。テーマは「勇気づけ」について。
アドラー心理学といえば勇気づけです。ほめない、しからない、勇気づけ。
他者を援助する際に、アドラー心理学は常に勇気づけのあるコミュニケーションでありたいなと考えています。
勇気づけというのは、相手に責任や結末を引き受けられるよう勇気づけたり、困難に立ち向かえるよう勇気づけたり、仲間と力を合わせられるよう勇気づけをするのが本来の使い方。
そういった方向性で勇気づけをしていくことで、勇気づけられた相手が、「自分には力があるな、人々は仲間だな」と思えることが何より大事です。
これが勇気づけの本質だと私は思う。
確かにアドラー心理学が提案する勇気づけにはいろんな方法があります。
しかし、それらはあくまで一例に過ぎなくて、それらの方法を実践しても、必ずしも相手が勇気づけられるとは限りません。
うまく勇気づけられる人もいれば、逆にそれが勇気くじきになる人もいるかもしれない。
アドラー心理学の結論は「人それぞれみんな違う」ですから、勇気づけだって、相手によって「どうしたらこの人は勇気づけられるかな」とケースごとに考えていくことを忘れてはいけません。
たとえば、勇気づけの一つの方法として、相手がしてくれた貢献的な行動や協力的な行動に注目するものがあります。
お母さんがお皿洗いをしていたら、子どもが洗い終わった食器を率先して拭いてくれた。これはお母さんにとっても貢献だし、家族にとっても貢献だし、協力的な行動ですね。
そこに注目して「ありがとうね、助かったわ」と声をかけてあげる。
そうしたら子どもは「お母さんの役に立てたな」と、自分に価値を感じられるかもしれないし、自分の居場所を家族の中に感じられるかもしれません。
すると子どもは「ぼくにはお母さんの役に立つ力があるな、お母さんの仲間だな」って思えてさらに勇気を持てるかもしれません。
そうなればお母さんの「ありがとう、助かったわ」は、先にお伝えした、仲間と力を合わせられるような勇気づけになる。
今の例はわかりやすいですが、この例はどうでしょう。
勇気づけの方法に、相手に選択や決断をゆだねるというものもあります。
「あなたが決めていいのよ」と伝えることで、ゆだねられた相手が「ああ、私も決めていいんだ」「決める権利が僕にもあるんだ」「私を信頼してくれているんだな」と思えれば、これも立派な勇気づけになります。
責任や結末を引き受ける勇気を持てるようになるかもしれません。
しかし、中には自分が決めることに苦手意識を持っていたり、自分の意思で何かを判断して決められない人もいます。
そういう相手にこの勇気づけの方法を実践すると、おそらく「き、決められない、どうしよう」「えー、わからない、私には決める力がない」と勇気がくじけてしまうかもしれません。
そうなると「私には決める力がないな、わざわざ私にそんなことさせるなんて、人々は敵だ」と思うようになるかもしれません。
こうなっては勇気づけではなく、勇気くじきになってしまう。
勇気づけにおいて大事なのは、方法ではありません。
こちらからの働きかけによって、相手が「自分には力があり、人々は仲間だな」と、まず思えることです。
はじめにもお伝えしましたが、アドラー心理学がひとまず提案している勇気づけの方法は一例です。
これをしなくてはいけないとか、これが勇気づけの正しい方法というわけではありません。方法は重要ではないのです。
方法なんてのは現場ごとに臨機応変に工夫したらいいですからね。
大事なのは何度も言いますが、相手が「私には力があり、人々は仲間だな」と思えること。
そこを忘れずに、勇気づけと向き合っていきたいなと思います。
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