こんにちは。
日本アドラー心理学振興会代表の田山夢人です。
勇気づけがどういうものかを学んでくる中で、私は「叱咤激励は勇気づけではない」と学んできました。
学んだ当時の私としては「へ〜そうなんだな」くらいで、それについて真剣に考えなかったし、どちらかというと「え、勇気づけにならないの?」くらいに疑問を持っていました。
だからといってそこを深く追求しようとはしなかったんですけどね。
昨日、アドラー心理学カウンセラー養成講座「アドカウ」6期の受講生さんのスーパービジョンがありまして、そのセッションの中でちょうどこれに関する質問が出ました。
そのときのご質問は、「”勇気づけ”と”励ます”の線引きは?」というものでした。
この質問がどこから生まれたかというと、以前私が「叱咤激励は勇気づけにはならない」というお話からこの疑問が生まれたようです。
そこについては当時の私もあまり真剣に考えずにシェアしていた内容でもありましたので、「おお、そこきたか」とドキッとしました。
とはいえ、自分の中で中途半端であった部分について向き合う良い機会をもらえた気もしました。
私の答えとしては、「線引きというか、"励ます”というのは勇気づけになり得ると思う」とお伝えしました。
「おそらく、以前私が叱咤激励は勇気づけにならないという話からそういう疑問を持たれたと思いますが、励ますこと自体は勇気づけになり得ると思う。おそらく”叱咤”の部分がマズいんだと思う」
続けてそう答えたんですね。
叱咤激励という言葉について、これまで私も人生の中で何となく使っていたので、受講生さんとそのときに一緒に言葉の意味を調べてみたんですよ。
すると叱咤激励の言葉の意味は、「大きな声で叱ったり、励ましたりすることで気持ちを奮い立たせること」とありました。
「叱咤」の部分に「叱る」という意味が含まれているそうです。
なるほどでしたね。
「そんなんじゃダメじゃないか!」
「もっとしっかりしてもらわないと困るよ!」
「いつまでもそのままでいいのか!?」
確かに言われた方は、勇気がくじける可能性も少なくなさそうです。
そうであれば、やはり叱咤激励は勇気づけにはならない。
大前提、アドラー心理学は「ほめない、叱らない」という特徴があります。
「叱咤」は「叱る」ということですから、アドラー心理学的には完全アウトなわけです。
こうやって言葉の意味ひとつひとつ考えていくと、ちゃんと見えてくることもあるんだなと学べた時間でした。
ちゃんと向き合う機会をくださった受講生さんに感謝ですね。
ということで、今このブログを読んでくださっているあなた。アドラー心理学を現在学ばれているあなた。
今日のお話をまとめますと…
- 「励ます」は勇気づけになり得る
- 「叱咤」の部分が勇気くじきになる
このふたつを頭のどこか片隅に残しておいていただけると嬉しいです。
ぜひ勇気づけを極めて、あなた自身、そしてあなたの身の回りの人たちもマルっと幸せな人生にいきましょう!
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