こんにちは。
日本アドラー心理学振興会代表の田山夢人です。
PTSDって聞いたことありますか?日本語では心的外傷後ストレス障害。
もう少し簡単な言葉で言いますと、いわゆる「トラウマ」というものです。
このPTSD、最近では結構メディアでその名前を目にすることが多くなってきたと思います。
芸能人が何かのスキャンダルの後に休養に入る際の病名としてもよく見かけますし、カウンセリングでも「私、PTSDで…」という方をたまに見かけます。
まずしっかりと整理しておきたいのですが、PTSDの定義は「事故や戦争、災害などの死に直結する体験」をきっかけに起きるものです。
このPTSDが言われ始めたのはベトナム戦争で戦争から帰ったアメリカ兵で精神症状を訴える人が多かったことから戦争後遺症としてPTSDという病名が作られました。
しかし、現代の日本では「昔、親に怒鳴られて育ったから」とか「上司にセクハラをされたから」など、物理的に死に直結する体験ではなくても「PTSDである」とおっしゃる方が多くなった気がします。
もちろん、これらの体験もツラいと思います。印象に残るだろうし、ふとした瞬間にその記憶が蘇ることもあると思います。
しかし、これらの体験では厳密にはPTSDとは呼べないのです。
先ほどお伝えした「死に直結する体験」が原因となっていないといけないのがPTSD。
しかし、アドラー心理学ではこの「死に直結する体験」も、そもそも本当の原因か怪しいと考えています。
ベトナム戦争から帰ったアメリカ兵はPTSDの症状が顕著に出てようですが、同じく戦争から帰ってきた日本兵の状況と比較すると、日本兵は帰国後にPTSDの症状はほぼ報告されていないのです。
戦争とはいえ、ベトナム戦争ではアメリカ兵は毎日3,000kcalの食事を摂れていたと言いますし、それに引き換え日本兵はずっと過酷な環境で餓死寸前でもあったのに、帰国後PTSDの症例はほぼ見られなかった。
これは何を意味するかと言うと「戦争」自体が直接的な原因とは考えづらいということです。
死に直面するような体験を経験していても、PTSDになる人とならない人がいるのです。
この違い、「真の原因」とはどこにあるのでしょうか。
ベトナム戦争で戦争から帰ってきた当時のアメリカは反戦運動真っ盛り。戦争反対、戦争に行った兵士を犯罪者扱い。
アメリカ兵は帰る場所がなかったんです。
一方、日本の兵士は戦争から帰国後、みんなあたたかく迎えてくれました。「帰ってきてくれてありがとう」「国のために戦ってくれてありがとう」、日本全体が戦争で頑張った兵士を歓迎ムードだったと言われています。
これはつまり、「居場所があるか・ないか」が真の原因ということです。
アドラー心理学では人間はみんなそれぞれが身を置く対人関係に「所属すること」を目的として生きています。
だから、体験自体が問題になるのではなく、人々の中に自分が所属できるか・できないかが問題なのです。
所属ができない・自分が受け入れてもらえない時に、PTSDに見られる神経症状を体が作り出し、人々に自分を仲間はずれにさせないために、それらの症状が「使われている」と考えられます。
これはアドラー心理学の「使用の心理学」といわれる側面ですね。症状は目的に向けて使われる。
兵士の立場からしたら、あれだけ頑張ったのに国に帰ったら批判の対象なわけです。それはツラい。みんなのために戦ったのに自分の居場所はなかったのです。
元気にピンピン、楽しそうに生きていたら、批判が止むことはなかったかもしれない。しかし、その本人が精神症状に悩まされていれば、人々はその人を責めることはないかもしれません。
「行ってくれてありがとう」
「大変な思いをしてたんだよね」
「あなたは悪くないよ」
と気を遣ってくれたり、労ってくれたりするかもしれません。
PTSDの真の原因は結局のところ、「人々に受け入れてもらえない」というところにあるのです。
自分の居場所を作るために作り出された、その時のその人の中でのベストな手段のひとつなのです。
もしあなたがカウンセラーや教員などの対人援助のお仕事をされていたり、ご家族やご友人など身の回りにPTSDで悩まれている方がいるのであれば、あなたにできることは「その人の居場所を作る」ことがその人の援助につながります。
ぜひ考えてみてくださいね。
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