当振興会ではカウンセリング・心理療法を行う際、相談に来てくださった方のお悩みやお人柄に合ったセッションができるように、当振興会で学ばれ、試験に合格した認定心理カウンセラーをご紹介しております。
カウンセリング・心理療法の初回アセスメント時や、お問い合わせしていただいた時など、ご希望があれば「この人と話してみたい」とお問い合わせ頂ければと思います。
認定心理カウンセラー 田山有沙
取得資格:日本アドラー心理学振興会認定指導者、認定心理カウンセラー
相談分野:夫婦・親子関係、相手の顔色をうかがい自分の意見が言えない、自分に自信が持てない
プロフィール・経歴
神奈川県二宮出身。一児の母。
黒川カウンセリングオフィス担当。
日本アドラー心理学振興会が「あさおアドラー心理学勉強会」の時代からサポートをしてきた。当振興会以外にも外部の講座などではグループ・セッションを毎月行い、自信が持てず一歩が踏み出せない相談者を持ち前の明るさと笑い声でパワフルに勇気づけてきたグループ・セラピスト。
そのグループ・セッションは型にとらわれず、参加者が楽しくその時間を過ごせるようなラフさが好評を得ていて、現在は「焚き火」を使ったグループ・カウンセリング『語り火』なども主催し、即満員になるほどの魅力と時間を提供している。
著作には『自分を、出す。』(夢叶創出版)、『私、見返りを求めてました。」(夢叶創出版)などがある。
認定心理カウンセラー 渡邉 孝
取得資格:日本アドラー心理学振興会認定コミュニケーションコンサルタント、認定心理カウンセラー
相談分野:うつ病の予防職場の人間関係、自分に自信が持てない、何回転職してもうまくいかない
プロフィール・経歴
1.ご挨拶
はじめまして。
アドラー心理学専門のカウンセラーをしております
渡邉と申します。
幼少期は、
一人っ子であることと
生まれつきアトピー性皮膚炎がひどかったことで
とても心配されながら育ちました。
いわゆる甘やかされた子どもだったと思います。
アトピーの症状が顔にひどく出ている時は、
「自分だけみんなと違う」
「みんなは幸せ、自分は不幸」
そのような思考が染みついていたように思います。
その後、3歳で大好きなサッカーに出会い、
肌がボロボロになるのも気にせずに
18歳まではサッカー一筋で過ごしていました。
しかし、小学校4年生の時に
1度だけサッカーを辞めてしまったことがあります。
監督の息子が自分のプレーに
いろいろ口を出してくることが許せなかったんですね。
この頃から、一人っ子っぽさというか
コミュニティーの中で自分が特別扱いされていないと
その場から離れるような行動を取るようになっていたような気がします。
集団行動がもともと苦手なのですが、
小中高とサッカーに熱中していたこともあり、
あまり問題は表面化されませんでした。
2.就職
大学卒業後、就職を機にだんだんと対人関係に問題が発生してきます。
リーマンショックの影響で、当時は派遣切りなども多く
就職活動では採用数が激減していました。
70社ほど採用試験を受けて 内定をもらった会社は2社。
どちらも特段入りたい会社ではなかったのですが、
内定をもらっただけでもありがたいと思い、
家から近い会社に気軽に決めてしまいました。
仕事のやる気はとてもあり、
「やっと大人の仲間入りできる」
「いっぱい稼いで親孝行したい」
そんな思いで意気揚々と入社しました。
3ヶ月の新人研修では
「毎日120%の力で働く」という言葉を間に受け、
日々、全力で研修を受けてから配属先に向かいました。
仕事内容はテレアポ。
社内で1日200〜300本ほど電話でアポイントを取る業務だったのですが、
これが自分には合っていなかった。
電話をかけた先から 「もう二度とかけてくるな!」と怒られ、
電話を切ると上司から 「なんだ今の弱々しい電話は?」と怒鳴られる。
この状況で当時の私は、
「自分が仕事できないから悪いんだ」
「もっと勉強しなきゃ」
「知識を増やさないとうまくしゃべれない」
そのようなことを考えていて、
仕事が終わった後も商品資料を持ち帰り、
家で勉強しようとしても疲れていてできない。
休みは週1日しかなく
定時が何時なのかも知らなくて
帰りの電車の隅っこで 「もう無理だよ…」 と、
泣きながら帰ったことも何度もありました。
それでも会社には行かなくてはいけないので、
コンビニで冷やし中華を買って、
口に流し込み、お風呂に入ってすぐに寝る。
朝起きて、無意識のように会社に向かう。
配属から4ヶ月が経過し、ある日、体に異変を感じました。
左胸が痛い。
左手が震える。
電話を持てない。
声が弱々しくなり、うまくしゃべれない。
課長に相談すると、すぐに精神科の受診を勧められました。
そこでの診断結果は、
自律神経失調症の症状が出ている
いわゆるうつ病。
社会人1年目。
入社から7ヶ月でうつ病を発症してしまいました。
その会社はやむを得ず、退職。
その後、
23歳の時に職業訓練に通い、
簿記2級や秘書検定2級、
MicrosoftOfficeSpecialistの資格を取得しました。
この頃は
「営業は絶対にもう嫌だ」
「事務職だったらなんとかなるだろう」
「知識武装して資格を取りまくろう」
そんなことを考えながら、自分なりに必死だったように思います。
その後
コールセンターや事務職の会社を転々とし、
20代後半で未経験でプログラマーとして入社しました。
IT業界に入社してみたものの、
周りと比べて知識が全然追いつかず、
焦りや不安ばかり募る毎日でした。
不安を消すために私が取った行動は
貯金をすべて使い
土日にプログラミングスクールに通うことでした。
親には反対され
「お金稼ぐために会社に行ってるのに、
なんで逆にお金を使わなきゃいけないの?」
と言われました。
「確かにな」と思いつつも
仕事についていくために必死なので
スクールに通うようになり
平日は仕事、土日はスクールで勉強。
「知識さえあれば、自分はやれるんだ!」
仕事ができるようになるために、ただただ必死でした。
入社当時は、 まったく仕事についていけなかった私でしたが、
3年目ぐらいにはなんとか人並みに
仕事ができるようになっていたように思います。
しかし 4年目あたりからだんだんと仕事の難易度が上がっていき、
頭が真っ白になり、 1週間何も仕事が進まないという事態に陥りました。
いま思えば、誰かに相談できればよかったのかもしれないですが、
「こんな簡単なことなのに質問しちゃいけない」
「もう4年目なのにバカにされる」
「こんなこともわからないの?と言われたくない」
小さなプライドが邪魔をして質問できませんでした。
ある日、朝起きると
何もやる気が起きず 布団から出られなくなりました。
上司から病院に行くように言われ、診断結果は適応障害でした。
この時からすでに うつ病の再発に向かっていたように思います。
1ヶ月の休職後、職場に復帰。
業務内容を軽くしてもらい、
1年ほど働いていましたが、
ある日先輩社員から
「お前になんの仕事振ればいいのかわからない」 と言われました。
とても仲の良い先輩であり、
笑顔で言っていたので悪気はないと思うのですが、
私はこの言葉に非常にショックを受けました。
「自分がいなくても会社は回るんだ」
「自分はなんのためにここにいるのだろう」
そんなことを考えながら毎日出社していましたが、
少しずつ体に異変が出てきました。
・睡眠薬がないと眠れない
・微熱
・身体中の痛み
・頭が回らない
無意識で会社に向かい、 無意識で家に帰る。
体の異変に気づきながらもその後も1ヶ月は出社を続け、
とあるプロジェクトが終わるとともに
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れました。
朝起きても布団からまったく動けない。
さらに以前の適応障害とは違い、身体中が痛いし熱い。
ずっと前から限界を超えていたのだと思います。
その後、10ヶ月の休職期間を経て、 退職に至りました。
3.うつ病絶対治す!
それからの私は、
「うつ病を絶対治す!」と決意し、
自宅から通える範囲の精神科のホームページすべてに目を通しました。
おそらく50件ぐらいは見たと思います。
その中から「この先生なら信頼できそうだ」という病院2つに絞り、
早く予約が取れた方を受診することにしました。
信頼する医師に出会えたおかげで
うつ症状も少しずつ落ち着いていき、
読書ができるぐらいまでに回復しました。
それまでは何か努力したくて
「本ぐらい読まないと」と思っていましたが
疲れやすさが影響して、本を持っていられないし、
情報が頭に入ってこないし、 すぐに横になりたくなるので、
『漫画でわかる○○』などを電子書籍で横になりながら読んだり、
オーディオブックを使い、耳で聴く読書をしていました。
その頃からすると
「やっとまともに読書できるまでに回復してきたな」と
嬉しくなったのを覚えています。
それから、
社会復帰のために 1年間で本を100冊読んだり、
精神科のカウンセリングを受けるようになりました。
4.やっぱりまだ人と話すのが怖い
おかげさまで、うつ病の症状は落ち着いてきたのですが、
それでも人と話すことが怖いのは治りませんでした。
本を何冊読んでも
精神科のカウンセリングを何回受けても
家族やカウンセラー以外の人と話そうとすると
動悸や手の震え、手汗や脇汗がすごくなり、
その場を取り繕うことはできたとしても
後からぐったりしてしまうことが多かったです。
HSPや内向型についての本も読み漁りましたが、
自分に合う解決方法は見つかりませんでした。
さらに「この先どうなるんだろう」と
個人的に衝撃的なことが起きました。
コンビニでペットボトルの飲み物を片手に
レジに並んでいた時です。
レジでからあげクンを注文しようとしたら、
まったく声が出ない…
この時は、コンビニの店員さんと話すことすらも
恐怖になっていたようです。
しょうがないので、 手に持っているペットボトルの飲み物だけを買って
がっくりとしながら家に帰りました。
この時はもう「人と一切話さずに生きていくしかないのかな」と絶望しました。
5.アドラー心理学と出会う
その後も読書は継続していたので、
ふと『嫌われる勇気』をもう1度読んでみようと思い、
読み終わった後、感想をツイートしました。
そのツイートをきっかけに声をかけてくれた人がいて、
アドラー心理学のセッションを受けることになりました。
これが嫌われる勇気以外での、アドラー心理学との出会いです。
アドラー心理学では
10歳ごろまでにライフスタイルが決まるという考え方があります。
ライフスタイルとは
性格と似たような自分の決められた行動パターンのようなものですね。
そこで、幼少期に決められた自分の思考・感情・行動パターンなどが浮き彫りになり、
「なんて子供なままの大人なんだ」
と恥ずかしくなりました。
さらに、人はそれぞれ目的に向かっているという考え方があり、
それがわかった途端、
「これは人間関係こじれるわ」
「うつ病に助けられてたんだな」
と、すべてが腑に落ちた気がしました。
また「人は誰しもが力を持っているが、その力を貢献的に使えているとは限らない」
この言葉が自分にはとても響き、
これからは自分の強みを世の中のために使っていく決意をしました。
6.うつ病からの回復
アドラー心理学のセッションを受けてから、
よく言われるようになったことがあります。
「明るくなったね」
「よく笑うようになったね」
「顔が変わった!」
会う人会う人に言われすぎて
「そんなにひどい顔して生きてたの!?」と
びっくりしました。
きっと必死に社会に合わせようと
無理して生きていたのだと思います。
アドラー心理学の力を借り
「自分らしさ」を正しく理解することで
笑って生きられるようになったんですね。
7.今後の活動に向けての想い
今では自らがアドラー心理学カウンセラーとなり活動をしています。
自分を正しく知ることの大切さを知ったので
・笑顔で生活できる人を増やしたい
・人生を楽しめる人が増えてほしい
・好きなことに熱中する人が増えてほしい
・自信を持って生きてほしい
そのような想いで活動を続けています。
人生はいつからでもやり直せますからね。
一緒にこれからの生き方を見つめ直していきましょう!
認定心理カウンセラー ToMa(とうま)
取得資格:日本アドラー心理学振興会認定心理カウンセラー
相談分野:HSPの気質があっても自分らしく幸せに生きていきたい、HSPのお仕事、交友、恋愛、子育ての悩みを解決したい、再発を繰り返すうつ病を完全に治したい
プロフィール・経歴
HSP専門カウンセラー 、HSP心の保健室@アドラー心理学の先生(Instagram)。
男性看護師、保健師としての経歴も持ち、延べ500人以上の豊富な相談実績から、”傾聴力”と”行動変容の促進”に高い評価を受けている。
幼い頃からHSPの気質と「人から嫌われたくない」という思いを強く持っていた。
そのため、自分の気持ちよりも、周囲の人の気持ちを優先することが多く、周りとの考え方の違いや自身の繊細な部分に悩むことが多かった。
そんな自身の気質と人間関係に悩み続けた結果、過敏性腸症候群、呑気症(ストレスで空気を呑み込む病気)の症状に悩まされ、最終的にはうつ病で人生のどん底を経験する。
そんな絶望の中でアドラー心理学に出会い、諦めかけていた人生を立て直し、うつ病を克服。
まさに人生が180度変わる経験をしたことで「同じように自分の性格や気質で苦しんでいる人の力になりたい!」と思うようになり、アドラー派のカウンセラーになることを決意。現在はInstagramで”HSP心の保健室@アドラー心理学”を運営。”人間関係に悩む全てのHSPの人が自分らしく幸せに生きられるよう”支援している。
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