治したい親、治りたくない子ども。

こんにちは。
いつもブログを見てくださりありがとうございます。
日本アドラー心理学振興会代表の田山夢人です。

当振興会付属の黒川カウンセリングオフィスには、親子でカウンセリングにいらっしゃる方も少なくありません。

そこでよく出会うシチュエーションがこれです。

「治したい親、治りたくない子ども」

もちろんこれは、親と子どもが同席しているときにはわからないことです。たいていのお子さんは「治したい」とその場では言うし、親も「治ってほしい」と言っています。表面上は、(ああ、親子そろって改善したいのだな)と思えたりもするんです。

でもこれがひとたびですね、親御さんに席外していただいて、お子さんと二人でカウンセリングを進めると明るみに出てくるわけです。

「今の状態にあまり困っていない」

という具合に。

少し事例をもとにお話しますね。承諾を得ているクライエントさんのお話です。

パニック障害を経験して、オーバードーズ(お薬を過剰に飲む)で入退院を繰り返したり、リストカットを繰り返しているクライエントさんがいました。

その方は親御さんに連れられ、心療内科なども通っているもののあまり効果を感じられず、改善のために来室されました。

親御さんとしては、症状などもおさまって通常の生活に戻れるよう治ってほしいという主張。お子さんも、その場ではひとまず「まぁ、治ればいいと思う」という感じなわけです。

いざ、カウンセリングをはじめてライフスタイル(その人独自の人生における運動法則)を分析していきました。

少し補足しておくと、このライフスタイルというのは、その人にとってのマイナスなシチュエーションと、その人にとってのプラスなシチュエーションがわかり、それに加えて、マイナスからプラスに向かうための「だから私はこうしよう」という手段が分かってきます。

分析を進めると、あることがわかりました。

このお子さんにとってのプラスのシチュエーションは「人が私に心配をかけてくれているとき」というものだったんです。

そこで私は聞きました。

「過呼吸が起きたり、入退院繰り返したり、リストカットしたりしていると、まわりの人はとても心配してくれて、自分のことを気にかけてくれそうだけど、もしかしてこの状況は〇〇さんにとって割と願いが叶ってるのかな?

「そうですね。たしかに心配してくれてて、気にかけてくれているのは嬉しい」

「ちなみに、まったく健康になって、症状も出ずに過ごせるようになったとしたらどうなりそう?」

「私のこと気にかけてくれなくなる。心配されなくなっちゃう」

「それはいいこと?」

「よくないですね」

そんなやり取りがありました。

アドラー心理学では「すべての行動に目的がある」と考えます。もちろん、症状にも目的がある。

今回でいえば、過呼吸になったり、お薬を飲みすぎたり、リストカットしたりなどの症状にも目的があって、それはこのクライエントさんの場合は「心配してほしい」「気にかけてほしい」というものだったということです。

もう少し踏み込んで聞きました。

「心配してほしいとか気にかけてほしいというのは、もしかしてもっと自分を見てほしいのかな?もっと自分を認めてほしいのかな?

「そうです」

その瞬間、涙を流していました。

親は症状や突飛な行動をやめてほしいと思うんだけど、子どもにとってはそれを取っ払ってしまうと死活問題なときもあるんですよね。

だって、まずは親に自分のことを認めてほしいという子どもの声にならない言葉が、体の症状や行動となって現れていたんですから。

私たちは、どうしても体に症状が起きたりすると、それを外部から入ってきたウイルスのように取り除こうとします。でも、精神症状というのはそういうものではないことが多い。

ほとんどの場合、結局は対人関係的な目的があって、それを必死に叶えようと体全体ががんばっているんです。

だから、たとえばあなたが親の立場で、子どもに症状が出ていて困っているとき、まずはこう考えてみてください。

「この症状を訴えることで、私にどうしてほしいんだろう」

その考え方が、症状以前に対人関係をよくして、副次的に症状の改善につながっていくこともあります。

症状という隠れ蓑で見えなくなっている「対人関係の問題」に注意を向けてみてくださいね。

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